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岩国市弓道連盟の歴史
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弘化4年(1847)に岩国藩の藩校として「養老館」開校。このころより弓術が取り入れられている。
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大正15年(1926)頃には帝人岩国工場に弓道部が設けられている。
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昭和13年(1938)西岩国地区に会員40名で岩国弓友会が結成。初代会長に渕田栄氏が就任し、師範として広島幾太郎範士を招く。
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弓友会は間もなく岩国錬武会と合併して錬武会弓道部となり、昭和14年には義斉堂(有)など有志の寄付で弓道場を岩国小学校横に建設。
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終戦後一時期下火になるが、市内各工場、企業や高等学校に弓道部が設立され次第に弓道は活発になった。
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昭和27年11月再度岩国弓友会の発式から、現在の岩国地区弓道連盟の結成となる。
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昭和33年頃には岩国高校、岩国工業高校、高水学園高校に弓道部ができ、弓道場が建設された。
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昭和38年に山口国体が開催されたころから、一時期のブームも下火になり、各企業の会員は減少し始めたが、高校の弓道部は年々発展していった。
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昭和14年に同志を集めて会を創設し、弓道場の建設に尽力された初代会長の渕田栄教士七段は、戦前戦後を通じて弓道を愛され、連盟の発展と日置流印西派の技術向上を念じ続けられた。
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渕田栄教士は26年間会長(初・3・5代)を勤められ、2代北村加太氏、4代空閑住一氏(昭和46年没)、6代村重由隆教士七段(昭和51年没)と共に岩国弓道の発展に努められた。
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昭和51年に谷崎男教士六段が7代会長に、室本保博錬士六段・中本健錬士五段・巌城隆生錬士五段が副会長に就任された。
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渕田先生は顧問として新体制を側面から指導されたのであるが、平成元年弓道発展に貢献された生涯を閉じられた。
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平成元年に室本先生が8代会長、副会長は谷先生と巌城先生に替わった。
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平成2年に谷先生は山口県弓道連盟の副会長、巌城先生は理事に就任。室本先生は山口県弓道範教錬士会の幹事に就任された。
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平成3年には巌城先生が9代会長に就任、平成6年には守川好夫錬士六段が10代会長に替わり、副会長には小倉幸夫五段を加えた。
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平成9年からは谷先生が再び11代会長に就任、副会長は巌城先生・小倉先生・守川先生(13年度より室本先生)の体制となっている。
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平成16年度より武内謙治錬士五段が12代会長として11年間にわたって会を運営、特に公設の弓道場建設に向け各方面との折衝に携わり、県立武道館の建設実現に尽力された。また、山口県弓道連盟監事に就任、現在も務められている。
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平成27年度からは村本頼彦教士七段が13代会長に就任、平成30年度から山口県弓道範教錬士会副会長に就任した。
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令和3年時点では、会長に村本頼彦教士、副会長に西村勝美錬士五段・市川博幸五段の体制で運営している。
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昭和14年に建設された道場は、小学校改築のために移設されたが、昭和30年に自動車学校開校のため解体され、その後公営道場が市内に無い状態が続いている。
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昭和57年に市営の練習場が新設され、その後現在の場所に移築され現在に至る。
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市内の各企業に存在した道場も、現在は日本製紙の弓道場のみとなっている。
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平成の市町村大合併により、岩国市を中心として1市6町1村が合併して岩国市となったため、市弓連の会員も増えることとなった。
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高校の弓道部は、岩国高校、岩国工業高校、岩国総合高校、高森高校の4校が活動し、中学の弓道部も高森みどり中学が活動している。
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永らく市内に本格的な道場が無い状態が続いているが、現在岩国総合公園の2次事業として県立武道館の建設が決定し、その中に近的・遠的射場併設の道場が入る予定となっている。
(注)称号・段位は最終認定のもの

日本製紙錦陽館弓道場

日本製紙錦陽館弓道場の玄関


岩国高校弓道場

岩国工業高校弓道場

岩国総合高校弓道場

高森高校・高森みどり中学校弓道場
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